明治大学自動運転社会総合研究所 書評

書評「自動運転と社会変革〜法と保険 明治大学自動運転社会総合研究所監修」【責任は誰にあるのかの議論】

自動運転に関わる書籍のご紹介をしていきます。
次の点についてお伝えします。

・この本の気になった点を3つご紹介

私自身、ビジネス書、技術系書籍などを年間少なくとも100冊くらいは毎年読んでおります。
そのため、本棚には2000冊以上あります。

この本は、自動運転が普及していくことによって、責任の所在はどこになるのか、法律と保険という切り口で考察が述べられた本です。
執筆者も弁護士や保険会社などの専門家によって書かれています。

自動運転というと、技術主体の書籍が多い中、責任の所在は現在の法律ではどのようになるのかについて述べられている数少ない本です。
9割以上が人のミスによって引き起こされる交通事故が、自動運転によって事故が激減するならば、保険会社は不要になるのか、という部分もあります。
事故が0にはならないからこそ、もちろん保険会社は残り得ますが、形は大きく変わらざる得ないでしょう。

この記事は2、3分で読めますので、もしよろしければ目を通していただければと思います。
目次を最後に載せておりますのでご参照ください。

書評「自動運転と社会変革〜法と保険 明治大学自動運転社会総合研究所監修」【責任は誰にあるのかの議論】

監修 明治大学自動運転社会総合研究所
編者 中山幸二 中林真理子 栁川鋭士 柴山将一
出版 商事法務
2019年7月23日 初版第1刷発行

自動運転車は法を守って事故を起こすのか

自動運転車両は、パイロンがある場合は壁と同じに認識するので、パイロンに突っ込むという選択はありえない。

出典 自動運転と社会変革 P.18

この抜粋は、自動運転車両とそうでない、速度超過の車が事故を起こしたときのものです。
自動運転車両が速度超過の車を避けていれば大事故にならなかったのではないか、というものでした。

もちろん、速度超過の車に問題があるわけですが、パイロンは人から見ればただのパイロンですのでぶつかっても問題はありません。
ただ、自動運転車にとっては避けるべきものと設定されているのであれば壁とみなされます。

また、他にも車線変更してはいけないところでも、事故を避けるために車線変更をするというアルゴリズムが組めるのかどうかという部分があります。
逆に、交通違反は事故を避けるためにはいいというアルゴリズムがあったとき、誤判断で事故を避けた時に違反で捕まるのかなどもあります。

自動運転車は、どこまでの法律を守らなければならないのかという問題を抱えています。
もちろん、それについては人間が運転をしていても同じことです。
そういたシーンは多くはないけれども、起こり得るというものです。

システム全体で多くの車が制御されて動いているなら「個」はどこに

"connected"化された完全自動運転車が惹き起こす加害事故は、従来のマニュアル車が惹き起こす加害事故とは性質が異なるように思われる。すなわち、後者の車両は相互に「個」車としては独立しておりかつ「運行供用者」も「個」車ごとに観念できるから、事故原因は「個」車ごとに特定できる。これに対し、前者の車両は完全自律型車両を除いてクラウド、路側インフラ機器または他車機器からの情報を双方向で通信し合って走行するので、独立した「個」車とは評価することは難しく、したがって「個」車ごとに「運行供用車」を観念することも難しくなる。

出典 自動運転と社会変革 P.91

本文に出てくる「マニュアル車」というのは、クラッチのある昔からいう「マニュアル車」ではありません。
この本の中では、自動運転ではない車のことを「マニュアル車」と表現されています。

今までの事故は車対車でも、車対人でもあくまで責任、要因は明確でした。
問題があるのは9割以上が人の問題であり、万が一車側に問題があったとしても、その車についてのみ調べればよかったです。
それはつまり、クローズな世界だったからです。

インターネットが普及することで、いわゆるPCの乗っ取りがあることで、犯罪行為に巻き込まれたりすることもありました。
こういったのっとりが起こり得ることや、車ごとではなく、システム全体で協調して動いている中で事故が起きたときの責任はどこにあるのか。
非常に判断が難しくなります。
ただ、事故が起きるにしてもドライバー側なのか、路車間側のセンサーの誤動作なのか、協調させるためのプログラムの問題なのか、誰の責任という部分がわかりにくくなります。

そのため、保険もそういったものを包括したものになっていくことは考えられますが、そこを狙う、ハッカーや犯罪者も出てくることは想定されます。

有名なトロッコ問題と人がとる選択には自分本人が関わる

ここでは切迫した避けられない危害が生じうる3つの交通状況が下記図表のとおりに例示されている。

A:数人の歩行者か1人の歩行者を犠牲にする。
B:1人の歩行者か搭乗者自身を犠牲にする。
C:数人の歩行者か搭乗者自身を犠牲にする。

回答者の76%が10人以上の歩行者が犠牲になるならば、1人の歩行者が犠牲になるほうが道徳的で、犠牲者の数を最小限に抑えるプログラムを用いた功利主義的な自動運転車が望ましいと回答した。しかし、自分や家族が犠牲になる状況では、功利主義的な自動運転車の購入には積極的ではなく、搭乗者である自分と家族を守る自己防衛的な自動運転車が発売されればそちらを選ぶと結論づけている。

出典 自動運転と社会変革 P.110

ここに非常に難しい問題があります。
トロッコ問題自体はよく取り上げられます。どちらか必ず選ばなくてはならない1人の犠牲と5人の犠牲ならば、どちらを選ぶかといえば、1人の犠牲の方を選ぶ可能性は高いです。
ところが、その1人が自分自身か、家族となると、そうではなくなってしまいます。

実際、自動車が歩行者を守るよりも先に中の搭乗者を守ることが中心に進んできたのもそういった心理があることが考えられます。
最近は減りましたが、RV車などで、衝突時にエンジンを守るために大きなフレームのバンパー(カンガルーバー)がかつてありました。
これにより、車は守られるかもしれませんが、はねられた人の被害が大きくなることがあり、減っていったようです。

急に飛び出てきた人を避けて自己犠牲にする設定を好んで選択する人は多くないということです。
このあたりは設定次第かとは思いますが、その設定をメーカーがしてもいいのか、購入者がするものなのか判断は難しいところがあります。

滅多に起きない事故ではありますが、一度事故が起きた時に、こういう設定にしていたという情報が出た時に事故を起こした人がさらされてしまう可能性があります。

以上、簡単ではありましたがご紹介いたしました。

自動運転は多くの問題をもちながら、解決しながら進んでいきます。
それでも、どうしても解決できない部分も残りながら、その中でのベター解がその都度示されながら進んでいくことが予想されます。

書籍の方には、法律についてなどより詳しく載っており、他にはない本です。
もしよろしければ、目を通していただければと思います。

目次

第I部 民事責任

第1章 自動運転の事故責任と模擬裁判の試み

第2章 自動運転車による交通事故訴訟における証拠の役割と課題―模擬裁判事例を契機として

第II部 保険関係

第1章 自動う運転に向けた損害保険業界の対応――自賠責保険・自動車保険に関する対応

第2章 自動運転車が社会実装された後の自動車保険契約の変貌

第3章 自動運転と損害保険会社の企業倫理

第III部 刑事責任

第1章 刑事責任

第IV部 自動運転車を巡る国際的動向

第1章 自動運転車に係るドイツおよびイギリスの動向

第2章 ITS・自動運転の国際動向

第V部 自動運転社会とAI、その将来

第1章 自動運転に関するAIと法と実務

第2章 自動運転車の社会的意義と社会のルールについて

第3章 自動運転社会の進展―さまざまな分野における自動運転

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